朝ドラ

「あさが来た」が終わってしまいました。
実はそれほど熱心に追いかけていたわけではないのですが、はまっていた両親が撮っていた録画を夜に時々再生してみていました。
久々に安心してみられるドラマっていうか、みたら元気が出てほんのりと柔らかくなれる感じが好きでした。

最終話のひとつ前、ドラマを見ていた母が、「お父さんがね、『これ見てたら、泣けてきてしゃーなかったわぁ』言ってたわぁ」といって、私が思わず「ファッ?!」と奇声をあげたとか、父の事を知ることができてありがたかったです。
あの、父が??泣けてしかたがなかった?? いや、たしかにあのシーンはすごく泣けるんだけど、感情移入というものをかたくなに拒んでいるあの父が??? わりとドラマとか馬鹿にしがちなあの父が?? そこまで入れ込んでいたのか!

新次郎さんがよかったですねー。品があってやわらかくって、最終話の菜の花畑とかもう素晴らしくて素晴らしくて、あさちゃんのほっぺたに触れる手の柔らかとか、ときめきの塊でしたね。自分の真意とか感情の塊みたいなものを上手に取り扱って生のまま見せないところがずるいなー、素敵だなーとか思いながら見ていました。お金持ちのお家の次男坊の良さというか、負うものも執着するものもない柔らかさがあって、しかし、芯のつよさがあるというか、背中がまっすぐっていうのが、かなりの反則っていうか、正直現実的には無さそうですが、芸事を丁寧に腰を据えてやると芯は生まれてくるだろうからそういう設定なのかしらと思いながら見ていました。

最終話のお姉ちゃんと白装束のあさちゃんの顔が美しくて、光とか丁寧につくったんだろうなぁとため息をつきながらみていました。

素直さ

歌の教室で先日歌った歌のCDをいただいたので、今聴きおわりました。

先日、歌を歌った直後に再生していただいた時、「うっわー、素直な声ですねー。キラキラしてる」という感想を先生にお伝えしたのですが、今聞き直してみると、普段よりもずっと柔らかい声でした。素直っていうことは、柔らかいってことなんですね。

曲を歌ったときは「身体を使って、声を出す」「腰(下半身)を使う」というテーマで曲を歌いましたが、自分の体の大きさや頭の大きさ脳みその大きさが実感としてわかると、安心します。嫌な気分(嫌な体の感じ)も楽しい気分(うれしい体の感じ)も頭の中で鳴り続ける自分の言葉も見える風景が鮮やかに見えたりぼやけて見えたりそのままの姿に見えたりも、結局脳みその神経回路のなせる業ですが、自分の体の中で脳みその占めている割合を実感できると、脳みそに振り回される割合が少なくなる気がします。

歌った歌はイエローモンキーのSPARKです。吉井さんのカリスマと艶とキラキラとくにゃくにゃ感をとりいれたいなぁ。歌詞の大意は「君と体だけになってキラキラを感じたいんだ、ぼくは」という意味だと思っています

つらつらとだらだらと

寛先生のところで体の使い方の勉強することになったきっかけを時々聞かれる時があります。「腰痛がありまして~」と1分で分かりやすくお答えしていたのですが、実際は腰痛だけでは行きませんでした。単に腰痛だけだったら、整体に月一ぐらいで通っていただけでしょう。

本当のところ、NLPの講座を受けていた時に「私とはだれか」というテーマで受講生の前で発表を行ったときの私自身のビデオを見て、強烈なアクセルを踏もうとしているくせに分厚い岩盤で覆い隠している私の様子を見て「この芋っこの殻を破るにはどうしたらいいんだろうなぁ。どうつっつけば化けるのかなぁ」と私自身が思ったことです。(そういえば、講座の先生にも「ガードが堅いねぇ。何段か深いところを暴く必要がああるね」という趣旨のコメントもいただきましたなぁ。)

化けないといけないなぁ、それにはどうしたら、ということをずーっと探していたのですが、発表の時に声がこもっていたことをきっかけにして、私の声嫌いを直そうと歌を習いに行って、声というものは体を使って出すものですので、私の体感覚というものがさっぱり分からなくなっている事態にうすうすながら気づき、なのに、コネクトロンの今庄さんとのセッションで、「(あなたの)メインの感覚システムってV・A・Kのどれ?」と聞かれて「K(=体感覚)です!」と、私の口がかってに口走り、さらにあれやこれやの末に寛先生のところにたどり着いて、寛先生とのコンサルテーションで、ただひたすら「諦めます」としか口に出せないような感覚を感じてS.I.受けて、その後もあれやそれやあって、父の手術やら、その手術の後のあたりで、父との呼吸のような交流というものを初めて経験したことに気づいて、一人暮らししていた家に帰って「あ、私、この家でやらなあかんこと、終わったかも」とかふっとおもったとか、

 

つらつら書きましたが、要するに、私の頭はおかしい、気持ちが悪すぎる。これは私にしかわからない大事な経験なんだけれど、人の理解を得ることは難しい、私の今の収入と支出のあわなさっぷりがおかしいNLPと歌と体の勉強を全部合わせた私のかけたお金の総額を人に言ったら、喧嘩になる、そして私は口をつぐむしかなくなる、何も言えなくなる、っていう事が辛いわけです。

そして、もう一人の私ががすうっっと私にパンチを食らわせて言うわけです。

不幸を想像して、酔っぱらうなよ、あほかー!
定職についてお金と時間を自由に使って勉強つづけるってのは、いまの職場に勤め始める前に掲げたお前の夢やったんやろうがー!

夢をかなえて、やっとこさ体の緩む感覚がよみがえり始めたのに、逆行して型にはめてどうするよー!

 

という二人芝居を繰り広げております。ふぅ。

構えすぎなのかね。

王妃マルゴ

 

王妃マルゴ volume 1 (愛蔵版コミックス)

王妃マルゴ volume 1 (愛蔵版コミックス)

 

 萩尾望都先生の出ていらっしゃった「漫勉」を見て、思わず買ってしまいました。まあひとまず1・2巻をと思って買ったら続きがすっごく読みたくて、あわててて3,4巻を買いに本屋さんに走ったら見事売り切れ、という有様……。

「漫勉」では1コマに3時間近くも時間をかけて書き上げていらっしゃった萩尾先生がうつっていらっしゃいましたが、そのキャラがマルゴとナヴァルのアンリっていうのが! 読んでみてあの二人の描写を丁寧にやってくださっているのがうれしくてしょうがなかったです。

物語は16世紀のフランスで、ヴァロア王家の姫、マルゴのお話ですが、マルゴちゃんがギーズ公アンリに「きゃー」ってなった萌えツボポイントが、お、おう、そこかよって感じでした。わかるけど、なんかすごくマニアックな気が……。

全体的に倒錯とフェティッシュがはいってて、面白かったです。私はマルゴちゃんにもドキドキしてしまって、望都先生の描写がすごいなぁとおもいました。どこのマルゴちゃんのシーンにドキドキしたのかは書けませんよ。

マルゴは自分の感情や欲望に逆らいませんね。現実的に近くにいたらちょっと距離を置きたいタイプの女の子ですが、華があって目を引きます。登場人物中、一番素直でのびのびしてるのを感じたのがナヴァルのアンリで、私はナヴァルのアンリが一番好きになりました。これからの二人が楽しみです。3巻と4巻が読みたいー!

乙女バイアス

認知バイアスという言葉があります。

ある事実をAさんとBさんが見た場合、AさんとBさんが違った評価をすることがあります、どうしてか、ということを探っていくと、AさんとBさんはそれぞれ自分の見た事実を頭で認知する際に、その認知をゆがめる眼鏡をかけているということがあり、この眼鏡のことを認知バイアスと呼びます。(この眼鏡はAさんBさんが意識的にそうしていたり本人たちにも気づいていない無意識的なものであったりします。)

で、私にも認知バイアスというものがあるのですが、私自身が一番気持ち悪くて受け入れがたいものに「乙女バイアス」があります。少女漫画ドリーム眼鏡です。

もう、この眼鏡は優れもので、この眼鏡で認知した世界は、「みんなが(私にとって)とりぷるはっぴー! すべてのものは純粋無垢! 乙女の愛の世界に痛みはない! 臓物の臭いのする醜いものなんて、どこにもないのよ★ 」となり、「あらゆるものが運命! これこそ私の運命!」と 超盛り上がります。

身近な例では、いまの会社に就職してここの会社で「え、わたし、実は憧れだったバリキャリ女子になっちゃうの? バリキャリ女子に変身して、困っている人たちを助けちゃう? 素敵な人達に囲まれて花咲いちゃう?」と思ったときですね。バリキャリ女子に変身もたいがいですが、後半の「素敵な人に囲まれて花咲く」っていうのが最も頭が狂ってる感じですね。

あとは最近人から、私への評価としていただいた「ピュア」というお言葉。「ビュア」て!!ほめていただいている(とおもう)のに、この気持ち悪さってなに?

この乙女バイアス、不安な場所に飛び込もうとするときには有効なのですが、困ったことに、現実的には、この世は打算と臓物の生臭さと腐臭のただよう世界でもありますので、「あれ、なんか、お、おかしい……?」と乙女メガネが暴走して狂いだします。暴走しだすと、べったりと人に依存して、その自分に気づいて鳥肌がたったりして、気持ちのアップダウンが激しくなって自分でついていけなくなって倒れます。あと神秘的なもの(はっきり書くと、占い)に気持ちを振り回されたりします。

私、最近、乙女バイアスに疲れたよ……。グロテスクなものから遠ざかりたいと思いながらも一番グロテスクで奇怪なものは、自分の乙女バイアスってどういうことなの……。

グロテスクでもつけていなくちゃいけないものなら、いっそ混ざっている不純物を取り除いて、より磨けばいいのか?と、この記事をつらつら書きながら思いました。

お店のひととお話し

ここ数年、立ち寄ったお店の人とお話しすることが多くなってきたのですが、最近、宝石商の方とお話しすることがありました。

とあるホテルにある高級店の立ち並ぶショッピングモールで1千万円を超える指輪のならんだショーウインドーを見ていたら、「宝石はお好きですか?」とお店の店員さん(紳士)に声をかけられました。普段だったら「た、ただ見てるだけです~」と逃げているところだったのですが、ちょうどその日は自己PR写真というものを撮影にいった帰りで、私はメイクさんに舞台メイク一歩手前かというほどのがっつりメイクしていただいていたので気が大きくなっており、逃げずにそのままお話をさせていただきました(店に並んでいる貴金属が、わたくしの年収をかるーく超えるものばっかりだったので、売りつけられるにも売りつけられよーがないのがわかっていたというのもあります)

紳士は宝石について大変に熱く語ってくださって、「ピジョンブラッド」だの産地による宝石の色の違いだの、「あ、それ、パタリロで読んだことがある!」「あ、4C(カラット・カラー・カット・クラリティ=ダイアモンドの品質基準)って藤本ひとみの小説で読んだ!」とかサブカル知識を呼び起こしながら聞いておりました。

途中で紳士の口から「歩留まり」という言葉が飛び出して、工場勤めのわたくしは「歩留まりぃ?!」と普段私の職場で聞いている言葉がこんな高級店で聞けるとは思わずにびっくりしましたが、生産品だから歩留まり率もそらありますわ。ただ、私の工場で出ている生産ロスとダイヤモンドのカット時に出るダイヤモンドのロスでは、量に対する金額が雲泥の差ですよ。こっちはキロ単位でもダイヤモンドでは単位がミリグラム以下(1カラットのダイヤは200ミリグラム)ですよ。ふお~。

ダイヤモンドの鉱山の話がでて、ダイアモンドというと、デビアス社と南アフリカのダイヤモンド鉱山の過酷労働という知識が思い起こされたのですが(知識元は、シドニィ・シェルダンの小説「ゲームの達人」)最近はロシアとオーストラリアの産出が多くなってきていて、パワーバランスもいろいろ変化しているとのことでした。

鉱石の魅力とか力ってあんまりよく理解できていなかったのですが、鉱山で掘り出された鉱石がその石がもっとも魅力(=パワー)持つ形でカットされて、宝飾品として作り上げられて、その宝飾品のデザインについても、莫大な力を持つ石の場合は、その宝石ありきでデザインが組まれて、センターを飾って、宝飾品の価値が跳ね上がっていくという話を聞くと、石が動かす金銭とか莫大なパワーが想像つくっていうか、理解できるような気がしました。

自分の年収以上のアクアマリンの指輪を触らせていただきました。恐ろしくて指にははめられませんでしたよ。

 

 

007


12/4(金)公開『007 スペクター』予告編第3弾

年末に映画「007 スペクター」を見てきました。

観に行く前に、お友達から「映像にすごくこだわった監督で、画面から「俺の! グレイグ・ボンドを! この背景で! このスーツを着せて! こうして! こう!」というのが伝わってくる」と教えてもらっていましたが、本当にそうでした。

ダニエル・グレイグに色気を感じるか感じないかで評価がバッサリ分かれます。
女性がボンドに出会って5分でボンドに恋に落ちるということに説得力を感じればオッケーですが、ダニエル・グレイグ好きなじゃなかったら、なんじゃこらー、ですよ。ボンドの色気をストーリーでまったく説明せずに、ただ画面の絵のみで表すので、たたずまいとか、醸し出す雰囲気にのれなかったら、なんじゃこら、です。
ストーリー全体も、「この絵を撮りたかったから、ストーリーをつくりましたよね?」という感じでした。

で、私はまんまと監督の策略にはまってダニエル・ボンドにくらくらになりました。

衣装替えが素晴らしい。画面の色に合わせってスーツを変えまくってましたね。「スーツ」と「アイテム」に対するフェチズムがバリンバリンに画面から伝わってきて、ふぁあ~っていうため息が出そうでした。
(オープニングの主題歌の映像も、バリバリフェチズムでしたが、ただ、タコはあまり真面目に描写されると、「うん、タコだね」と逆に私は素にかえっちゃいました……)
噂のQ君も今回初めてみましたが、なるほど! わし掴まれる人が出るのもわかると思いました。

そしてボンドが弟属性のもとに生まれていたとは恐れ入りました。すばらしい。

ダニエル・グレイグは、どうしてあんなに影を感じるのでしょうね~。
映画を見ながら、ダニエル・グレイグの醸し出す雰囲気って、具体的にどの部分から感じるのかなぁと思いながら見てました。