恩師との再会

1年ぶりに恩師とお話をさせていただきました。

ずっとお会いしたくてお話をしたかったのですが、いろいろ怖くて、ちゃんと「お会いしたいです」と先生にお伝えできず、近況報告の最後に「また事務所に遊びに行かせていただきます!」と書きながら実は内心(こう書いていたら先生から遊びに来なさいって誘ってもらえないかしら)というスケベ心をどっかで抱いているという、みみっちい状態だったですが、先日、なにかに突き動かされ、えいや!ときちんと「会いたいです」と連絡をとらせていただいたら、すぐにお返事が返ってきて、すぐにお時間をとっていただけて、お会いさせていただくことができました。

お話しさせていただいたのは、職場のことだったのですが、いろいろ聞いていただいて

「で、何に悩んでるのかな? お話をお伺いすると恵まれた環境にいらっしゃるとおもうんだけど」

ということになりましてですね。

そうなんですよ。職場で問題となる代表格であるセクハラもパワハラも女子間闘争も今の私にはないんですよ。

環境も整っていて、行動もしていて、仕事をこなせるだけの能力もあって、問題なのは『私の中の世間様』なんですよ! ここで大きなエラーになってるんですよ!

ということが分かりました。『私の中の世間様』ってのは、ようするに「ビリーフ」ってやつです。ここでおこったエラーの修復方法は、別の「何か」を試して、その「何か」で実績をつくって信用つくって実感するってことなんですが、実績作る手間は省けないんですよ。しかも私の場合、一発の強烈な体験により『私の中の世間様』できたわけじゃなくて、細かい日々の積み重ねでできてるので、『私の中の世間様』の焼き直し作業もちまちまやるしかないんですよ。そうでないと私が納得しないから。

あー、そういうことを私やっていたのね、と再確認して納得しました。早く仕事ができちゃって手が余ってることばっかりに目をやらず、任された仕事を合格点でこなしているという事実にも目をやりましょうね、とも教えていただきました。

さらに、どうして苦しいのかっていうと、勉強にいってるNLPも歌も身体の事も『合理的な結実』を得ないとだめだって信じていたことです。合理的な結実っていうのは、今思い浮かぶのは、資格業界とかセラピー業界で生計を立てるっていうことなんですが、それが私にとって、本当に、今、何かの実感を得られることなんか? 勉強したことが、私の世間様が理解してくれるようなわかりやすい形で結実してくれなくっても、それをとにかく投入できる環境があることを大事にして、今は折り合いをつけながらやっていくことが大事なんじゃないのか、ということを確認しました。

先生の事務所からの帰宅中、何か薄いものが大きく割れてバラバラになって散っていくような気がしました。安心したのか、今はなんだかとっても眠たいです。