怒る!日本の文化論

 

怒る! 日本文化論 ~よその子供とよその大人の叱りかた (生きる技術! 叢書)

怒る! 日本文化論 ~よその子供とよその大人の叱りかた (生きる技術! 叢書)

 

 先日ご紹介した「つっこみ力」と同じ、パオロ・マッツァリーノさんの本です。つっこみ力を読み直したら、他の本も読みたくなり、パオロさんのサイトに掲載されていたパオロさん自身の書評をよんで「これ!」と思って買いました。

文化論というタイトルですが、実際は叱り方の本です。

読んで、これ、すごい本だと思いました。実は、私、コミュニケーションの講座に通ったことがあり、その講座でやったシチュエーションの中で『相手はなんにも問題を持っていないけれど、私はとっても問題をもっている状態』つまり、『私が相手に対して怒っているという状態』が、私にとっては最も困難な状態であり、アサーションとか傾聴とか全部を総動員して事に臨むことっていうことを教えていただいたのですが、そのことを、小難しい専門用語なしにパオロさん自身の実例をもってがっつり書いてくださっていました。

私は、相手の理不尽な行為に対して、自分が頭に来た場合、そのことを解消するためにどれだけくそ面倒をこっちがしょい込まんといかんのかということを想像してしまって、先におさえこんじゃうんですよね……。黙っちゃった方が楽。でも、それって結局、怒るにしても怒らないにしても首はしまっていくんだけど、どっちの首の絞められ方の方がいい?って理不尽に聞かれてる感じで、首はぐいぐい絞められていってるので、押し殺せなくて、だんだん沸点が下がってくるのね。で、だんだん積もり積もって、だれに首を絞められているのか分からなくなって、最終的にものすごくどうでもいい相手のささいな行為に対して、過剰に怒ります。実際に私もしました。

パオロさんがこの本で「激怒するとストレスがたまります」と書いてくださっていて、「そうですよね!!」と握手を求めたい気持ちでした。激怒すると、一瞬の昂揚感を得られますが、そのあとものすごく落ち込みます。

いろいろなチェックポイントを無視しながら我慢の道をのぼりのぼって上がるんですが、激怒によって、たくさんのチェックポイントのあるものすんごい高さの道をいっきに滑落することになります。結局、激怒という短絡的な行為によって、今まで自分が何を踏んできたのか一気に跳ね返ってくるんですよ。今の職場にきて、3,4回我を忘れるほど激怒しましたが、どれも後で死ぬほど後悔しました。1回目は手が震えるほどに怒り狂いましたが、そのあとボロボロになって2日間ほど壊れました。(……なんでこんな怒ってるんだ? でも遅まきながらやっと私の怒りを認められるようになったんですよ。次の問題は、我慢をしすぎる点への対処方法です。)

 

怒りは消さなくていい(消せない)、ないことにしなくていい。そして、「怒る」も「叱る」も交渉と考える。叱るときには「真面目な顔で」「すぐに」「具体的に」そして「深追いしない」。『いつも常に』でなくていい。

 

パオロさんの『早朝に野球練習をしていた男の子を叱り、そして大変後味が悪かった』という失敗の経験談が書かれていましたが、その経験談を読んで、パオロさんは真摯な方だと思いました。

 

そして私にとって最も何かががらがらと崩れる感じがしたのは、「叱ることがコミュニケーションなら、叱られることもコミュニケーションなのでは?」ということに思い至ったことです。「叱られる=断絶される」と思っていたのですが、ひょっとしたらそうではないのかな。