考えると言う事

おとといフェルデンクライスの個人レッスンを受けてきました。

前回のレッスンの時に、自分がパソコンを使ったり字を書いたりするときどういう体の使い方をしているのか観察しておいて、という宿題が出ていて、一週間観察をしたら、パソコンをつかったり字を書いたりするときに肩にものすごく重さをのしかけていることに気づきました。おとといのレッスンで、重さがのしかかっているのは、私が前傾姿勢で、顎を前に突き出すような形でパソコンの画面を見ているのがひとつの原因であることがわかり、顎をフリーにして、両耳を貫通するラインで頭と首がつながっている事と、おしりから頭の先まで一本であることを意識して座ったら、どこにも力がはいってないのになぜか頭が支えられてる状態を作ることができました。

今日は仕事をしながら、首の骨に首を預けてみる感じにしてみたり、おしり・背骨・頭までの釣竿で頭を釣っているような感じをイメージしてみたりしていました。

そうやって体のことを見ながら半日ぐらい過ごしていたら、お昼休みにふっと、あー、私にはすべてを頭の考えで解決してしまいたいという欲求があるなぁと思いました。思考は物事の中で大きな部分を占めるものではありますが、一部であって全部ではないのに、私はそれで全部を解決してしまいたいとおもっているんだなぁと思いました。

どうしてその欲求があるのかとちょっと考えたら、時間とプロセスの省略をしたいのかもしれないと思いました。

時間がかかっても構わない、時間がかかってしまった結果諦めないといけないことが出ても構わない、まるで無駄になっても回り道でも構わないと心から感じられたら、今いろいろ苦しかったり不安だったりすることから楽になれるのかなぁ。