フロンティア

先日、歌を教えていただいている先生とフロンティアに立つ人というテーマについてお話をしました。

企業における女性の場合では、いわゆるバリバリのキャリアウーマンでしょうか。私はいわゆる女性管理職と呼ばれる人になるには、『条件がそろうこと』が必要だと思っていました。例えば結婚をされている女性の場合には「仕事をすることに協力的な夫」「家事を共にやってくれる夫」お子さんがいる場合には「子供を預けられる場所」「自分以外で子供の面倒をみてくれる人」独身の場合には「自分をささげられる仕事」とかでしょうか。とにかく色々と条件がそろうことが必要だと思っていました。が、先生は「それは『条件を与えられる』ということですね」とおっしゃいました。条件が与えられるということは、選ぶという自由意志がある、ということです。例えば管理職というポストがオファーとしてきた場合、「はい」か「いいえ」を選択できる自由があるということです。「手伝ってくれる人」という存在が現れた場合、その存在を「受け入れる(手伝いをお願いする)」か「受け入れない(手伝いをお断りする)」について選択する自由があるということです。

そしてさらに、先生とのお話の中で、管理職にまで上がるということは、その前段階の階段がすでにある程度出来上がっている必要があるということを感じました。階段のまったくない場所に階段を作ってそこを上っていく、場合によっては、そもそもその場所は階段を作ることを必要としていないという場合、階段なんて作れないのでは、と思いました。

 

そして、今日、私は、帰り道にふと、ということはある場所まで誰かが到達できたということは、先人の人達がつくった何らかの階段がすでに存在していたということなのだ、と思いました。フロンティアをゆく先駆者と呼ばれる人は常に孤独でただ一人だと思っていましたが、本当は孤独な先駆者なんていないんじゃないだろうかと思いました。

そう思ったのは会社での出来事がきっかけだったのですが、そう思うことができたきっかけがあったことを大事にしたいと思いました。(鳥頭なんですぐにわすれちゃうんですけどね。そして忘れると病気になって調子が悪くなるので、ここに記しておきます)