雑談(4回目から5回目の間)

S.I.(ストラクチャラルインテグレーション)の続きを書こう書こうとしているのですが、全10回とその間の話を書く!と意気込んだものの、4回目以降の話がまぁいろいろ思い出があり、なかなかまとまらない状態です。本当なら週一回のペースで2月までに終わらせる!とかいう壮大な予定でした。そして見事に停止しております。ので雑談を書きます。

昨日、お出かけをしまして、おでんを囲みながらお話をする会に参加させていただきました。胃腸炎あけの病み上がり状態でおでんをいただいてお酒をぱかぱか飲んでも悪酔いせずに二日酔いもなく家に帰ったら酔いもほぼ醒めていたという幸せな会だったのですが、ちょっとだけS.I.のお話をさせていただいたりして、当時自分が向かい合っていたもののことを思い出しました。

1回目から4回目までワークを受けた後の翌日以降が辛くて、私へのダメ出しのように痛い部分が出てきてて、「おまえ、あかーん!お前のやり方なってないー!」と私自身にひっぱたかれてるみたいな感じがしてました。寛先生のせいではまったくなく、私の考え方のくせである「いいことばっかり目を向けても仕方がない。辛いことが私にとっての本当」っていう考えが大きく影響していたのだろうとおもいます。この言葉は寛先生とのメールのやり取りの中で私が自分で書いた言葉ですが、あまりに腑に落ちすぎで、この言葉が出てきたときには「うわーっ」て感じでした。

4回目が終了したあとの翌日に例のごとく体が(とくにみぞおちの後ろ)が痛くなり、イライライライラして、泣き言をものすごく誰かに訴えかけたくてたまらなくなったり、逆にそんな自分にものすごく腹が立ったりして、そのようなシーソーゲームをやりながら、「で、私は結局何がしたいんだ? いろいろある私の中の意見でどの意見と手を結びたいんだ」とノートにいろいろ書いたりした結果、「あー、私、このS.I.をとってもやりたいんだ。私の中の批判する声と戦いながら続けたいんだ」というところに行きつきました。

で、まるで人を監視しているみたいに自分の行動を監視し、そしてうまくできなかった罰のように自分の痛みを感じるのをいったんやめよう、と思った翌日から変化がありました。痛いのがましになりました。

要するに、力が入りすぎてたんですよー。力入ると固くなるから問題も起こるよー。『ど根性』が大好きだって事に今気づきました。ど根性強制されるの大嫌いなのにやるの大好き。「力いっぱい」とか「歯ごたえ」とか大好きなんですよ。やってる感じがするから。

今現在でもこの考え方が引き起こしている諸問題について解決ついておりませんが、まず、自分の中で自分のことを踏むのをやめると、そのとたんにカタカタカタっと事が進み始めました。

浮上したっていうよりも、さらに深みに落ちた感じがしていたのが不思議でした。

 

雑談のつもりが雑談じゃなくなったな。

なにを私が「本当」とか「リアル」に感じるのか、っていうことについては、私が今向かい合っているものなのかなぁ。