(1→2)ぴかぴかとぐらぐらの始まり


「ストラクチャラル・インテグレーション」その4です。

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ワーク翌日の月曜日‌が来ました。
出勤のためにいつも通り電車に乗り、座席に座ったところ、「あれ?」と思いました。
なんか風景がいつもと違って見える。
いつもこんな風景だったっけ? 自分の背が高くなった気がする。
風景がちょっとだけクリアに見えるというか、体の感覚がなんか窓ふきしたあとのぴかぴかの窓ガラスみたい。
あらー、これ、面白いなぁーっと思いながら電車にのっていました。
(当時はあまり理解できていませんでしたが、座り方が変わって目線の高さが変わったんですね)
 
私は事務職として働いており、工場現場にいったり別部署に書類を提出しにいったりと、立ったり座ったりしていますが、基本的に居場所は事務所内の自分の机です。
事務所全体の椅子がそうなのですが、背もたれがもう機能してなくて、座る部分もぐらぐらしてて微妙に後ろに傾斜しています。要するにこの椅子は猫背製造機と化しており、猫背が私の腰痛を生んでいるという状況でした。椅子については新替えしますという話にはなっていますが、時期はぼんやりとしか分からないので、ひとまずはこの椅子と仲良くならなくてはいけません。

昨日覚えたんだからすぐにできるだろうと思いきや、どう座ってもなんかしっくりこない。廃棄するカタログで足置きをつくってみたりしていろいろやって最初は座れたかと思っていても、すぐになんか違和感が出てくる有様。ゴソゴソゴソゴソを繰り返していたところ、午前も終わり間近となったある時。

椅子に座ると、ふわっと体中の力が抜けたのです。

うわ、これすごい! 明らかに座り心地が違う。

ボロボロの椅子が、とても素晴らしい椅子に変身した感じ!

すごーい!と思っているうちに午前は終了。
結局その日はそのあとはあの瞬間の素晴らしさの再現はできなくて、夕方には腰にごく軽い痛みような違和感が出てきたのですが、頭痛がするほどのあのひどい腰痛を起こすことなく一日の業務が終了しました。

帰宅後、私は仕事の合間につらつら考え書き留めたメモをノートに張り付けました。
メモに書いた言葉は
「先生の意図を読み取ろうとするのを捨てる」「感覚の主体は私」
ワークの終了後に「良い生徒をやめる」とメモを書きましたが、私にとって「良い生徒」とは「『先生』の求める答えを読み取って正しく答える生徒」です。(注意:この場合の『先生』とは寛先生個人を指すのではなく、私の考える一般的な先生です)

ワークで停止してしまっていたのは、「どういう感じ?」と聞かれたときに自分の体の感覚に意識をもっていかず、先生の言葉に意識をもっていって『この場においての正しい答え』を探ろうとしたのが原因なのかと思いました。それは言い換えると、感覚の主体は私で、感覚は私のものなのに、感じることを放棄して「私ってなにを感じてるんですか?」って先生に聞いてるってことじゃないのか? 
次回からは(たとえ間違うことが怖くても)自分の感じたままを言おう。
と、決めて月曜日が終わりました。


さて、月曜日は素敵なぴかぴかでしたが、火曜日以降は少々無残な流れとなりました。

月曜日にややあった腰の違和感が、火曜日、水曜日と日を追うごとに大きくなり、木曜日には違和感を感じる場所が増えて、姿勢ももうくっちゃくちゃな状態で、金曜日にはワークを受ける前と同様に痛い。そして一週間が終了……。

みごとに日を追うごとに崩れていく有様をメモしながら、心の奥底では「せっかく施術していただいたものを私自身が台無しに壊しているのでは……」という考えがぼんやりとありました。寛先生のサイトの感想文みて、「どうしてみんなすぐに良くなっていってるんだろう……。それに比べて……」とか考えてしまったりとかなぁ……。
あんまりうまくいかない考え方をこの時の私はすでに取り始めていて、翌週にはさらに悪化し、その翌週には私が溜めすぎたものが決壊するのですが、まあそれは先の話で、2回目のワークの日である土曜日がやってきました。

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