ダウントン・アビー

イギリスのドラマ「ダウントンアビー」の3シーズンの最終話を見終えて魂が抜けた顔をしております私ですこんばんは。あまりの展開に魂抜けました。茫然とはこのことだ。

 

ダウントン・アビーはついこなだまで日曜日の深夜11時(11時は私にとっては深夜です)にNHKで放送されていました。先週に3シーズンの最終話の放映が終了し、録画していたその放映を昨日の深夜に見終わりました。けっこうがっつり見入ってしまうので、平日に見るのは無理で、週末に録画を再生するという日々を送っておりました。

ドラマの内容はといいますと、時は20世紀初頭、場所はイギリス郊外にある大邸宅ダウントン・アビー、内容はダウントン・アビーに住むグランサム伯爵家とその使用人たちが描く人間模様っていう感じの群像劇です。禍福は糾える縄の如しのストーリー展開でしかもけっこう禍が多め。

1シーズンは、タイタニック号が沈没して、タイタニック号に乗船していた伯爵家の3姉妹の長女メアリーの許嫁が亡くなってしまい、伯爵家は跡継ぎを失い、結局遠縁のマシューが跡継ぎとして家にやってくる、ってところから始まります。マシューは中産階級の弁護士で、そんな男に跡を継がせるのかと伯爵家の中では反発が起こる、といういきなり大トラブルからのスタートです。第2シーズンは第1次世界大戦の開戦からスタートして伯爵家も大きな歴史の波に巻き込まれ、第3シーズン目は伯爵家にとってさらに大きな幸せと不幸がおこります。

貴族の家というのは単なる家ではなく、運営をしてゆくもので、家そのものが生き物みたいな感じがするところがドラマチックで大好きです。時代的に貴族がたちゆかなくなってきていまして、伯爵夫人のコーラは元々アメリカの大富豪の娘で、多額の持参金と共に伯爵家に嫁いできて倒れそうだった伯爵家を救っているという状況なのですが、3シーズン中にも何度か倒れそうになっちゃうという歴史の波の荒さもドラマチック。

撮影されている場所がハイクレア城という本物の邸宅で、セットも伯爵家のお洋服もとっても豪華。使用人たちと伯爵家の人々が並ぶと本当に階級が違うことがお洋服ではっきりとわかります。そして人物のせりふの奥深さが好きでした。ストーリー展開を書くとどう読んでも「どこの昼ドラやねん」という話の展開なのですが、この豪奢なセットお洋服と歴史感とウィットに富んだ会話がぐいぐい私を引っ張ってくれていました。バイオレットおばあちゃま(おばあちゃま、とお呼びしますが、この方の価値において1番大事なのは「わが家を守る」ということで、そのことに関してはかなりドライに動かれる方です)のセリフが特に素敵で、「(使用人を)雇用するのは我々の義務よ。使用人のいない貴族なんて、ガラスのハンマーくらい存在価値がないわ」とか「あなたの幸せの妨げになる人は、排除しておかないと。同情するのは、排除してからにしなさい」とか。

伯爵の育ちの良いおぼっちゃまさとか(だから伯爵は資本主義経済にまったく向いてない。資本主義経済に向いていないことが伯爵自身がわかっていることがまた悲しい)マシューのヒーローっぷりとか、人物造形が素敵でした。

3シーズンを見終わった後では、次女のイーディスの今後が気になります。ツイッターで「長女は男運がなくて、次女は男を見る目がない」というつぶやきがあって、頭がもげそうなぐらいにうなずきましたが、イーディスの自信の無さからくる意地悪さとか、好きになる人がだめんずばっかりとか、伯爵家家族のイーディスに対するみそっかす扱いがけっこうひどいので仕方がないといえばそうなのですが、この先いろいろあったとしても自分の何かを貫き通して、それを糧にしてくれるといいなぁと思います。